「準備が大切」、先輩の教え

同窓会の肝は「消息確認」です。
当日の運営や余興ではありません。
実は、当日前に既にピークを過ぎていて、当日は余力によるウィニングランと言った感じです。
そのぐらいの感じで当日を迎えないと、当日ただ忙しいだけで、疲れただけの思い出になってしまいますよ。

というわけで、準備段階が一番楽しいと、私は思っています。
学生の頃の文化祭を思い出してみてください。
当日の事も大事な思い出ですが、その前の準備段階で、半ば泊まりこみのような状況までして頑張った記憶の方が、大切だったりしませんか?

「消息確認」の過程において、様々な状況が展開されます。
中には、「連絡して来ないで!」というケースも、少数ながらあります。
しかしその一方で、意外な協力者が現れたり、日々作業をこなしていくことで得られる(わずかばかりの)達成感など、日常生活ではなかなか体験できないことが、生活に刺激を与えてくれたりします。

別に、同窓会の運営代行会社に恨みがあるわけではないですが、最も楽しい部分を人任せにして、もったいないなあと思ってしまいます。

ここで、準備段階についての話題を少々。
大学生のときに、学園祭の実行委員を何度かやったことがあるのですが、そのとき一緒にやっていた先輩が、「準備がしっかり出来ていたら、その企画は半分以上成功したも同然」と言って、準備段階を大切にする様、励ましてくれました。
いくら準備を入念にしていても、予想外のことが起きる可能性は否定できません。
それでも、準備が上手くできていると、不思議とそんなアクシデントもうまくかわすことができたりします。
この言葉は今でも何かのタイミングで自分を励ます言葉になっています。

それともう1つ、この先輩が教えてくれたのに、「人にやらせるときには、『やれ!』でも『やって!』でもなく、一緒にやって手本を見せてやること。それがリーダー」と言われました。
リーダーとなって人を動かすためにいろいろと指示しても、人が動かないとしたら、それは自分のせいだと。
一緒に同じ作業をやることで、やり方を覚え、連帯感が出てくる。
それが信頼となって、ようやく人は動くようになる、とのこと。

会社とかであれば、指揮命令、あるいは人事考課という権利を行使することで、組織をコントロールできるでしょう。
いちいち、部下と一緒に動いていたら、体が幾つあっても足りません。
しかし、PTAや同窓会は善意がエネルギーとなる組織です。
幹事、とりわけその中でも中心となる方々へ、自分の記憶の整理とともにエールを送ります。